中国貴州省遵義市草王ba村は、山々にすっぽりと囲まれた山奥の村で、水不足が貧困の根本的原因となっていた。
昔から村の人々は先祖代々、「山は高く、石が多く、他の土地へ行くには坂を上らなければならない。
一年中、貧相な食事をし、重湯を飲めるのは正月だけ」という民謡を口ずさんでいたほどだった。
同村に住む黄大発さん(86)は、「運命」と決めつけることなく、不屈の精神で、大きな山と闘い、36年かけて、用水路を建設してきた。
1935年に草王ba村で生まれた黄さんは、23歳の時に中国共産党に入党した。
その年に同村の大隊長に就任。
意気揚々と「用水路を建設する」という決意を語った。
現実は、極めて残酷だった。
黄さんたちは、必要な技術などなく、測量といっても、竹竿を立てるだけである。
コンクリートは、不足しており、溝の壁に直接泥を塗るだけの状態で、洪水対策のための溝もなく、洪水時もろい溝は、原型すら留めないほど破壊されてしまうのだった。
黄さんは、諦めることなく、必要な知識についてあちらこちらに教えを請い、水利技術を独学した。
建設中のダムや用水路があることを聞くと、すぐに保存可能な食べ物をリュックに入れて、現場に向かった。
1992年の春、黄さんが筆頭となり村民らは、山奥へ入り、用水路建設を始めた。
来る日も来る日も休むことなく、黄さんは200人以上の作業員と共に山に入り道を切り拓き、村民らは後方で、セメントを作り、用水路を築いた。
必死の努力が実り、1995年、7200メートルの主水路と2200メートルの支水路からなり、山々を囲うように走る「命の用水路」が完成し、水が流れるようになった。
通水した日、村の人々は、山や用水路の周りで爆竹を鳴らしたり、大きな拍手をしたりと、大賑わいとなった。
そして、ブタを屠殺して宴会をしたり、ステージを設けて祝い、大盛り上がりとなった。
草王ba村の村民にとって、最もうれしい日で、積年の夢がついにかなった日となった。
大勢の人がステージの上で黄さんを囲んで今の気持ちを聞くと、黄さんは感極まって言葉が全く出ず、目からこぼれる涙が、日焼けしてしわができた顔をずっと流れるだけだった。
「山が高いことも、石が多いことも怖くない。
一生懸命頑張れば貧困を脱却することができる。
岩を砕いて水を引き、田んぼを作り、貧しい村が豊かな村へと変わった」。
草王ba村の村民の懐は、少しずつ暖かくなり、暮らしは、日一日と幸せに向かって歩み始めている。

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